いま坂本龍馬がブームである。福山雅治が男気たっぷりに演じるNHK大河ドラマ「龍馬伝」の人気をはじめ、龍馬に扮した人物がCMに登場したりもする。現代の日本が幕末の転換期と似ているという風潮も、そのブームの原因に挙げられるだろう。龍馬といえば、出身地の高知や無念の最期を遂げた京都など、西日本で活躍したイメージが強い。しかし意外なことに、東京にも龍馬ゆかりの地があるのだ。
まずは、京急本線の立会川駅近辺(品川区)。黒船騒動の折、龍馬も警護に駆り出された土佐藩下屋敷がかつてあった場所だ。立会川駅横の児童公園の入り口には、全長3.3メートルの龍馬像がそびえたつ。この像は龍馬の故郷・高知県から贈られたものである。駅前の商店街には「若き日の龍馬がゆく」「龍馬の街」などというのぼりが立ち、飲食店には「龍馬ラーメン」「砲台そば」といったメニューが並ぶ。 商店街を通り抜け、立会川沿いを河口に進むと、浜川砲台跡にぶつかる。ここで龍馬は、ペリーの黒船をみて大変なショックを受けたとか。砲台の石垣に使用されたとされる貴重な石の数々が並べられている。
次は、北辰一刀流道場・玄武館跡(千代田区)。19歳のときに江戸に出てきた龍馬が、剣術の修業をしていたというのが千葉周作道場の玄武館だ。現在、その道場の痕跡は残っていないが、都営新宿線・岩本町駅の近くにひっそりと碑が建っている。この碑文「武尚之右」は、千葉周作と東條一堂の偉業を讃えるものである。
最後は赤坂にある勝海舟邸跡(港区)。文久2(1862)年の秋、龍馬が訪れた勝海舟邸は、赤坂氷川神社近くの飲食店の植え込みに碑が残る。この訪問の際に、龍馬は勝を斬るつもりだったという説もある。だが勝から開国論を耳にした龍馬は、のちに彼を「生涯の師」と仰ぐようになるのだ。その大きな転機となった場所である。
春も近くなってきた東京で、ふらりと150年前の龍馬の軌跡をたどり、彼の偉大さを確認してみては。 (亜遊民執筆)
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