画家・笹尾光彦さんを色で言い表すとしたら、間違いなく誰もが「赤」と言うだろう。大胆な筆致で描かれた花・ソファ・本やクッションはいずれも独特の赤を使っている。エネルギッシュで情熱的な「赤」には人を元気付けると同時に「癒し」の力があると笹尾さんは話す。そんな思いをもって画家になって10年、この節目の年に笹尾さんは今までの10年をどう振り返り、そして新たな10年を刻んでいくのだろうか。(取材・執筆:謝 晨、撮影:姚 遠)
静岡県生まれ、日本画家の父の影響で、幼い頃から絵に興味を持つ。多摩美術大学図案科卒業後、大手印刷所デザイナー、外資系広告代理店クリエイティブディレクター、制作担当副社長を務める。その間仕事でヨーロッパ、特にパリへ何度も足を運ぶ。また仕事のかたわら絵を描き始め、1997年に本格的に画家として独立する。翌98年秋、58歳の時に、Bunkamura Gallery(東京・渋谷)にてデビュー個展「第1回笹尾光彦展−花のある部屋−」を開催。以降毎年Bunkamura Galleryにて個展を開催し、今秋は10回目となる。
Q1 どうして赤を多用し、花のある絵を描くのですか?
絵だけじゃなくて、文学・音楽などには、人に感動してもらいたくて存在しているものがある。私の絵を見てくれた人が、単純に癒されて、元気になってもらいたいと思っています。花にも赤色にも人を元気づけるだけでなく、人の気持ちを穏やかにさせる力があると思っています。中学時代からマチスという画家が好きで、彼の絵も赤色が多いので、その影響もあるかもしれない。
また中学時代の美術の鈴木先生が私に与えた影響も大きいです。みんなの前で「笹尾君の絵はみんなのと違う」とほめてくれたんです。それから自信を持つようになり、人と違う、個性のある絵を描きたいと思った。

Q2 「赤い花」や「レッドソファ」、「パリの花屋さん」など、似ている絵を何枚も描かれていますが、こういったシリーズものが多いのはどうしてですか?
確かに今でも多くの画家はひとつのテーマで一枚の絵を描くようですが、同じような絵を何枚も描く画家もいます。私はただ単にその絵を描きたくて仕方がないので描いているので、どんどん増えてしまうのです。例えば「パリの花屋さん」とか「レッドソファ」とかはそれぞれ100枚以上あるし、「ハイビスカス」も50枚以上あります。キャンバスが足りなくなって、買いに行かなくてはならないときもありますよ。
 
Q3 「パリの花屋さん」シリーズなどパリが多く登場しますが、どういう所が魅力的ですか?
「なぜパリが好きか?」というのは「なぜその人が好きか」という問いと同じように、特に理由があるわけではない。ただスピリッツが好きとか、自分に合うとか、落ち着くとか、そういった理由によるものです。会社員時代から50回以上はパリへ行ったし、今もよく行きますが、パリの街には「○○屋さん」というような昔ながらのお店がいつまで経ってもそこにある。そういう風景が好きで、少し京都と共通するところがあります。

Q4 毎年Bunkamuraで個展をやられていますが、笹尾さんにとってどんな意味を持っていますか?
画家としてスタートした時に、「一番好きな場所でまず10年やってみよう」と決めました。プロになることとはずっと続けることであり、最低10年はやらないとわからないと思っています。年に一度個展をやって、少しずつ自分の仕事の成長を刻んでいます。今年は10年目で11月14日から26日までやりますが、大台に乗るという意味で、今までの作品やシリーズなどに加え、新しいシリーズも展示しますので、この10年の集大成といえます。

Q5 会社員を辞めて画家になるとき、行き先への不安はありましたか?当時はどういう心境でしたか?
不安と自信が共存していました。でも不安はあったけど、あまり悩まない性格なので、そんなに悩まなかったですね。

Q6 画家になって得られたことはなんですか?
会社、特に広告代理店はチームで仕事をする。それに対して画家は一人です。私は自分一人でやってみたいという思いで画家になったのですが、今は会社員時代以上に1人ではない。1人になったからこそ、組織という縛りがなくなり、絵を通じて多くの世界の人と関わることができるようになったのです。また、会社員時代は感謝という気持ちを今ほどに感じなかったのだが、今は本当に多くの人々に支えられていて、日々心から感謝するようになりました。私を支えてくれる人々と、彼らに対する感謝の気持ち、これが画家になって一番得られたことですね。

Q7 会社員時代と画家で、共通する点はなんですか?
生活は基本的に変わっていないです。朝9時から夜9時くらいまで、一日12時間ほど絵を描いています。

Q8 趣味が仕事になった今、他に趣味はありますか?
テニス、将棋、読書(絵を描く合間にミステリーや時代小説をよく読みます。SFや恋愛物は苦手です。)、英会話(上手になりたいというより、外国人と話をして、その国の考え方を知るのが好きです。)

Q9 これから10年の夢や展望、チャレンジしたいことはなんですか?
「池坊(いけのぼう)」の協力を得て、伝統的な花を描く個展を来年6月に開きます。私の絵や花はモダンでヨーロッパ的なものが多いので、日本的で伝統的な花を描くという意味で大きなチャレンジです。伝統的な花を描くわけですが、背景を赤色にするなど、自分らしさを出した新しい伝統の花を描きます。
今後の夢として、ニューヨーク、パリ、中国の三箇所で絶対個展をやりたいですね。私の絵は一見洋風ではあるが、実は日本人、東洋人の部分も現れています。例えば代表的な赤色は純の赤ではなく、少し黒っぽい赤を使っています。日本では洋風な赤だと思われていますが、欧米人はそれを日本的な赤と認識しているのです。また、影や遠近法などがないフラットな絵になっていて、これも浮世絵などを連想させます。欧米で個展をやることで、東洋らしさを見てもらいたいし、日本のルーツである中国でやることで、原点に返って、「先生」である中国人からの意見を聞きたいです。
 
Q10 ご自身を一言で言い表すとなんだと思いますか?
「普通」ですね。それは「普通でありたい」ということかもしれないけど。
鈴木先生が言っていたように「一人一人違っていい」、それぞれ違うのがまた「普通」だと思います。

第10回記念笹尾光彦展
2007年11月14日(水)〜11月26日(月)Bunkamura Galleryにて
10:00〜19:30 入場無料
新作の「Books&Flowers」をはじめ、これまで描きつづけてきたシリーズ作品が、会場いっぱいにならびます。SASAOという画家のこの10年間での変化や、守り続けてきたものを感じられる展覧会となっている。初の画集『パリの花屋さん。』(リトルモア、2007.10)や表紙絵を担当した『マルシェ・アンジュール』(野中 柊、文芸春秋、2007.10)も販売。

あと3年で定年退職するはずだった57歳の時に、会社員を辞めて画家になった。補償された人生と引き換えに、彼は夢を追いかけた。自信もあったけど、不安もあった。不安に負けないように、不安を追い払うようにただひたすら少年のように創作を続け、走り続けた。少年のエネルギーと大人のセンス、大胆で綿密な筆致、アーチストとしてのサービス精神を感じさせる絵を世に送り出し続けた。あれから10年、画家としてのSASAOは「赤の画家」としてその確固たる地位を築き上げ、彼の努力が日の目を見た。これから10年、彼はやはり少年のように新しい夢へと向かって走り続ける。「大器晩成」、この言葉が彼に最もしっくりくる。

笹尾光彦ホームページ  /sasao/

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