世界を笑顔でいっぱいにするために
暴れ狂う津波のために陸地に押し上げられ、へこんだ船体を無力に傾けた宮城県の「第三明神丸」の巨体の下で、笠をかぶり袈裟をまとった一人の僧侶が目を閉じて合掌し、壊れたスクリューと瓦礫に向かって黙々と祈りを捧げている・・・。鑑賞者に震えるような感動の瞬間を伝えるこの写真は、東京、ニューヨーク、上海で活躍する中国系カメラマン、ヴィンセント・ホアン(黄文隆)さんの作品である。
ヴィンセント・ホアンさんは神戸に生まれ。高校を卒業後、アメリカのサンフランシスコ大学アカデミー・オブ・アートカレッジで学んだ。日本語、英語、中国語の三ヶ国語に精通する彼は、広告撮影で独自のスタイルを作り上げ、新しい道を切り開いた。世界の一流ファッション誌「ELLE」「Marie Claire」「FIGARO」などに傑作を次々に発表すると共に、アーティストのオノ・ヨーコや、スターの坂口憲二などのすばらしい写真集を撮影している。
15年前、6000人もの人命を奪った神戸の大震災が彼の観念を変え、彼は唯美主義から、現実の人生を直視する方向へと転換し始めた。半年後、震災の惨状を記録した「KOBE-AID展」をニューヨークのSOHO地区で開催し、震災の悲しみを全人類の「未来への警鐘」へと転化させ、訪れた多くのアメリカ人、在米の日本人、華人、ヨーロッパ人たちに消すことのできない深い印象を残した。
しかしその15年後、ヴィンセント・ホアンさんはレンズの照準を、悲しみと痛みの単なる記録から、さらに陽光と笑顔の方向へと転換させた。東日本大震災が起こった後、彼は直ちに宮城県に向かい、キャノンEOS 5D MARK IIと黄色のおもちゃのアヒルを使って、震災に蹂躙されながらも、顔を挙げて勇敢にほほ笑む人々を撮影したのである。避難所で生活する白ひげのおじいさん、小学校の校庭の鼻水をたらした腕白少年、外国からの緊急救助隊の隊員、被災民と苦労を共にする朝鮮族の少女・・・、彼らの笑顔は春を呼び覚ますようだった。
さらに今年の10月に四川省で行われる第51回ミスインターナショナルで、特約カメラマンとなったヴィンセント・ホアンさんは、震災後の復興した土地で、世界から来た美女たちの笑顔を撮影すると同時に、大会期間に日本の震災の写真展を行って被災地再建のための募金活動をする予定だ。また彼は、世界の美女たちをつれて日本の被災地を訪れ、彼女たちの笑顔で現地の人々に勇気と力を与えることを計画している。
淡路、ブン川、三陸沖……、15年間に大自然は各地で猛威を振るったが、一人のカメラマンがその中から時間の静止と空間の深さを発見した。それは、真実とまぼろしの間の最も完璧な接点であった。彼は言う。「地球上ではこれからも、人類が想像もつかないような様々な天災が起こるだろう。天災は無情だが、人には情(こころ)がある。明るく笑えば、あらゆる困難に打ち勝つことができ、それが我々のこの緑の星の主旋律となるだろう。」(姚遠執筆)
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