カンヌ国際映画祭受賞作の主演俳優でなかったとしても、彼ら2人が東京の街を歩くと、抜群の「注目」を集めることは間違いない。取材現場にいたすべての男女の興奮状態を見ていて、そのことを強く感じた。映画配給会社アップリンクの渋谷会議室で、フランス、ドイツに続いて日本で公開される映画「スプリング・フィーバー」(中国語原題:春風沈酔的晩上)の主演俳優であるチン・ハオとチェン・スーチョンはメディアに対して大いに語り、ファッショナブルな東京の街に向けて、国際感覚を備えた新しい世代の中国映画人の姿を表現して見せた。
取材の前に映画を鑑賞したが、最初から最後まで息を詰めて見守るという感じで、映画が終わった時に初めて、自分がその中にはまり込んで簡単には抜け出せないことに気がついた。簡単に要約して言うと、この映画はこれまでよりいっそう新しい同性愛映画である。しかし私は2時間の心の旅路の中で、男たちと女たちの表面的な愛情の葛藤を通して、最も細やかで最も深いところから人生に内在する本質的な感情にメスが入れられ、そうした人間の永遠の孤独感、自由に対する限りない渇望のすべてが同性愛という衣を通り抜けて、深く深く私を包みこむのを感じた。
大学で読んだ郁達夫の同名の作品とは異なり、映画は現実から入り、ゆっくりと幻想に導かれ、最後には記憶の中に回帰していく。中国では上映禁止にまでなった、人々の非難を引き起こす性愛の場面は、映画の自然な流れの中で、どれもが人間の本質と複雑な愛情の最も真実なるものの再現になっていった。映画は果てしない愛情の大河の中の一部分を切り取り、始めも終わりもないような、見る者の心を動かす断片の中で、人物の感情にも明確な始まりと終わりがないのだが、チン・ハオとチェン・スーチョンは感情を載せるキャリアーとして、世界の片隅で生きる人物の心の中の世界の豊かさと複雑さを表現し尽くすことに成功している。
映画の中では女性を困惑させたり恨みを買ったりする役柄を演じるチン・ハオは、様々な質問に対して、非常に客観的で冷静な視点で一つ一つ魅力的な答を出し、映画ではただ1人、同性愛と異性愛の両方を併せ持った役柄を演じたチェン・スーチョンは、自分の人生に対する主張を多く述べていた。新宿の歌舞伎町に行った時の印象については、様々な価値観が混ざり合う店の看板が彼らに、これまで感じたことのない、まったく拘束のない自由を感じさせたようだ。どうやら、映画の中の南京にしても、現実の東京にしても、人が憧れるものは一致しているようである。愛情の背景が愛情そのものであるのと同じように、「スプリング・フィーバー」の背景も「自由」そのものであり、その意味でこの映画は、我々の時代における最も純粋に「自由な」映画と言えるに違いない。11月6日からシネマライズで公開予定。(姚遠執筆)