若い建築家でアーティストの坂口恭平さんは、社会に忘れられた人々に目を向ける。彼らはホームレスと呼ばれるが、帰る家がない人々ではない。彼らは、捨てられたダンボールや鉄の棒などを使って自分が身を置く場所を作り出す。自分の意志で酒を飲み、歌を聴き、さらには詩を作り、絵を描き、やりたいことを自由自在にやる。つまり、しかたなく何かをやるということがない。彼らは乞食でもなく、くず拾いでもなく、天からもらったすべての無料の贈り物を受け取って0円の生活を営んでいるのだ。坂口恭平さんは、隅田川べりに自分で建てた「0円ハウス」に住む鈴木さんのライフスタイルを深く研究し、「TOKYO 0円ハウス 0円生活」という本を書き、日本でも海外でも多くの人々を深く考えさせた。
建築家である坂口さんはさらに、費用がたった2万6千円のモバイルハウスを設計し、土地の束縛を受けない居住概念を打ち立てた。多くの人が、身を落ち着けられる家を手に入れるだけのために、長年苦労に苦労を重ねて働く。だが、坂口さんは疑問を呈する。空気も水も天から生き物に与えられた無料のものなのに、同じように自然界にある土地はなぜ区分けして売買されるのだろうか?動物たちは自由に住むところを選べるのに、人はなぜ高額な代価を支払わなければならないのだろうか?
東京の人口密度の高さは有名で、住宅街では家と家との間が、二人並んで歩くのも難しいぐらい狭いのをよく見かける。坂口さんは言う。東京の家はもう多すぎるのだと。この言葉には、表面上の意味だけでなく、今の人類が土地に束縛されすぎているという意味も含まれているのかもしれない。職場で血と汗を流して疲れ果てるまで戦い続けるエリートたちと、小さな0円ハウスに住んでゆうゆうと日の光を浴びながらラジオで雑音まじりの古い歌を聴いているホームレスと、まるで異なる二つのグループだが、一体どちらの方が自由で、どちらの方が楽しく、自然の生活に近いのだろうか?
去年の311の大震災の後、坂口さんは古い家を0円で改築して避難者の相談所とし、ここを使って様々な文化イベントのライブを行っている。彼は自分の考え方として、人は自分のことだけを考えるのではなく、心を開いて周囲の人や社会のために生きることが必要だと語っている。この考え方は0円生活が表現する心と同じで、功利心を持たず、愛をもって世界を抱きしめることと言えるだろう。彼は自分のホームページで、「肩書をアーティストや建築探検家と書かれることが多いが、自分ではそういうつもりはない。自分の信じていることをやっているだけ。」と書いている。――自由、陽光、溢れる活力、まさに彼が望んでいる0円のライフスタイルである。(李薊執筆)