誰でも子供の頃には夢がある。永遠に記憶の中にとどまる夢もあるし、しばしば話に出してからかわれる夢もあるし、すぐに忘れ去られてしまう夢もある。だが中には、さまざまな困難を経てついに実現する夢もあるのだ!「銀河鉄道」は、山本宏昭さんの子供時代の夢から生み出されたバス会社であり、世界最小のバス会社とされている。
酒屋の家に生まれた山本さんは、物心ついた時からバスが大好きだった。当時、家の前にはバス停があり、毎日バスを眺めながら、たくさんのバスの絵を描いた。学校で遠足に行く時は、他の子供たちがどんな食べ物を持っていこうかと考えている時、山本さんだけは、自分たちを迎えに来るバスの種類が三菱か、日野か、日産かというようなことばかり考えていたそうだ。21歳の時に大型2種免許を取り、当時の最年少合格者となった。大学卒業後は、大卒者はバスの運転手に採用されないため、やむなく家業を継いで酒屋になった。
だが山本さんは自分の夢を諦めなかった。1988年に彼はついに中古の自家用バスを購入した。こうして自由にバスを運転できるようになったものの、バスを所有するだけでは満足できなかった。彼の望みは、バスの運転手になることだったのだ。当時、ちょうど規制緩和が行われ、政府は新しいバス会社の設立条件を引き下げたところだった。そこで山本さんは1999年にバス会社「銀河鉄道」を創設し、2001年に貸し切りバス事業に参入した。その後、東京都東村山市のコミュニティバス事業計画に参加し、「銀河鉄道」の運行プランが東村山市に採用された。2006年には新しい道路運送法によって、これまでのように貸し切り業者によるコミュニティバスの運行ができなくなったため、山本さんは路線バス事業の許可を取り、一気に5台の中古バスを購入した。
しかし路線バス業界は不景気で、国土交通省の2006年の統計によれば、30台以上を保有するバス会社のうち、黒字は30%に過ぎなかった。だが山本さんは、東村山市東北部の一般のバスが通らない細い路地周辺に住む老人たちが不便さを嘆いていることや、雨でも自転車で通わなければならない学生たちの苦労を思い、赤字を覚悟してこの地域の役に立つ仕事をしようと決心したのである。
2008年4月、山本さんの一般路線バス運行の夢がついに実現した。現在の銀河鉄道は16台のバスを保有し、もともとの小金井循環線と小平学校線のほか、2010年4月からは東村山青葉恩田町線も運行を開始している。子供の頃の夢が、とうとう現実のものになったのだ。(Michelle執筆)