馳星周(はせ・せいしゅう)と周星馳(チャウ・シンチー)
映画「少林サッカー」はワールドカップのおかげで日本に大流行し、周星馳の名前も「少林サッカー」のおかげで日本に広まった。そして馳星周は、周星馳のおかげでさらにその名が日本に広まった。
作家、馳星周と言えば、まず「不夜城」を思い出す。彼は1996年にこの小説で文壇にデビューし、小説は様々な賞を獲得し、映画にもなってアジア各国で上映された。馳星周は北海道出身、横浜市立大学を卒業し、新宿の華人マフィア社会を小説のテーマにし、ペンネームは最も尊敬する監督・俳優である周星馳の名を逆にして付けた。
周星馳の作品は笑いで人気を博しているが、馳星周は暴力と暗黒世界で人をひきつける。周星馳は自分が馳星周のような作家にはなれないことを知っている。彼の頭の中には、イメージだけで文章はないからだ。馳星周は周星馳の魅力に心服している。観衆を大笑いさせるのはとても難しいことだと知っているからだ。
おもしろいことに、馳星周の最大の楽しみはサッカーを見ることと香港の友達に会いに行くことだそうだ。彼の作品を映画にしたときに、彼が映画の中である役を演じることになるとは誰も予想しなかった。一方、周星馳は「少林サッカー」を撮るときに、ちょうど馳星周が香港にいることを知って、わざわざ電話をかけて馳星周にある役を演じさせた。残念ながら、ただのサッカーの観衆の役だったけれど。
周星馳が「少林サッカー」の宣伝で日本にやって来たとき、馳星周は彼に会いに行き、作家と監督は興味深いツーショットを撮った。近年、馳星周は周星馳に比べるとやや低調なのが残念だ。彼がまたあっと驚くような新作を書いて発表することを期待している。 |