万博展示品のその後
120の国家と地域が参加した185日間の愛知万博が9月25日閉幕した。来場者 1500万人を目標にしていたが、それを突破する2000万人の来場者があり、大成功を収めたと言えるだろう。
ところで、多くの読者のみなさんは、もう一つの話題、即ち万博の展示物は一体どこに行ったのかということに関心を持っておられるだろう。というのも、間もなく閉幕というころに、展示物の売り手や買い手や寄贈の対象などについて、人々が盛んに取りざたしていたからである。あの巨大な仏像や金色に輝く仏壇などは、ほしいと言ってもなかなか手に入るものではないから、その行方は当然みんなの注目の的となる。
パキスタンが展示した釈迦苦行像は、鎌倉の建長寺に寄贈された。少し前のパキスタンの震災のとき、日本政府が積極的に援助を行なったため、パキスタン政府が喜んで同意したのである。中国館の寒山寺の石鐘の複製品は万博協会に、シンガポール館のマーライオン像の複製品は金城学院大学に、アメリカ館のライト兄弟の飛行機の複製品は中部国際空港に、モロッコ館の真鍮の皿は 愛知県豊山町 にそれぞれ贈られた。
また、韓国館の陶磁器は万博記念館に、ギリシャ館の「農業の女神」のレリーフは 愛知県稲沢市 に、ポルトガル館の「ネオン管のオブジェ」は 愛知県大治町 に寄贈され、スペイン館は展覧館の外壁を「国境なき医師団日本」に贈った。
みんなを驚かせたのは、 三重県 のある歯医者さんがお金を出して、ブータンとラオスの展示品をすべて買い取ったことである。ブータンの正統な本物の木製仏壇とラオスの六メートルの高さの金色の仏像に、この歯医者さんは1000万円あまりを費やし、さらに5000万円をかけてそれらの展示館を建設すると言う。(本文は、雑誌「ダカーポ」に掲載された文章をリライトしたものである)
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