日本の絵文字
「トイレ」マークや「こわれもの」などのピクトグラム(絵文字)は、言葉を使わないでもわかるようにと考案されたものである。海外からの観光客が直感的に見てわかるように、あるいは細かい文字を使わずに老人や子供にもわかりやすいようにするなど、ピクトグラムは効果的なコミュニケーション手段の一つになっている。日本でピクトグラムが発展する契機になったのは、1964年に行われた東京オリンピックであった。それ以来、各種施設で絵文字が広く採用され、改良されるようになったのだ。
1970年代、デパートの火災が多くの人命を奪ったため、災害時の避難誘導が重大な社会問題になった。それまで日本では普通「非常口」という漢字三文字を使っていたが、誰でも理解できて瞬間的に見分けられるように、新しいピクトグラムを作る必要が生じた。そこで多摩美術大学の太田幸夫教授が、現在あちこちで見かける非常口の図案をデザインしたのである。1980年には、日本政府がこの図案をISO(国際標準化機構)に提出した。当時ソ連の案が採用されそうだったため、ソ連の猛烈な反対に遭ったが、それから数年間議論を重ねた結果、ついに日本の案が採用された。
ご存知だろうか?非常口のピクトグラムには、二種類ある。白地のものは「非常口がある方向」を表し、緑地のものは「非常口そのもの」を指している。ついでに言うと、「非常口がある方向」を表すものが白地である理由は、それが通路上に設置されることが多いことから、視覚的認知効果に加えて、照明の機能も果たせるようにとの配慮なのである。
数年前、スマトラ地震で津波が起こったことが再び太田教授の注意を引いた。彼は津波の恐怖を示した、巨大な波の前で逃げ惑う人間を描いた「津波注意」の図案を二種類考え出し、神戸で開かれた国連防災世界会議の総合防災展で発表した。高知県と三重県ではすでにこのピクトグラムを海辺に設置することを決定しており、総務省でも全国統一設置の方針について研究を開始している。 |
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一ヶ月前のある晩、テレビを見ていて今大人気の「イオンクレンズ(ion cleanse)を偶然目にした。女性記者が東京のエステ店に行って、電源につないだ容器に足を入れると、やがて水が変色し始め、だんだん色が濃くなってくる。店員が嬉しそうに解説する。「これは足を湯につけることで体内の毒素を排出する機器で、水が濃い緑になれば心臓や血管に病気があり、褐色なら肝臓に病気があり、黒くなればお酒の飲みすぎであり、黄緑色なら腎臓に問題があります。」画面を見ていると、水は濃い褐色になっており、やせ細った女性記者の健康が心配になってきた。
数日前、テレビ局でで働く日本人の友人の頼みで、この「イオンクレンズ」を輸出している中国の会社に、詳しく質問するために電話した。しかし電話はまったく通じず、その会社のサイトは半年以上更新されていなかった。中国の報道を調べてみたところ、驚くようなことがわかった。このアメリカ発の「イオンクレンズ」という機械はまったくのいんちきだというのだ。中国のセールスマンによれば、イオンクレンズが発生する色は人体から排出されたものではなく、容器の中の電極から発生したものだという。色を決定するのは人体の病変ではなく、電極板の種類なのである!去年、中国で真相が発覚してから、商工部門では「イオンクレンズ」の販売と使用を禁止している。
アメリカのミシガン州立大学の生物化学の博士は、イオンクレンズの「科学原理」は、ちょっと聞くと正しいようだが実は間違っている科学用語を用いて人をだます偽科学で、体内の毒素を「強力なイオン」によって足から排出することは不可能なのだそうだ。
人々が美しさや健康を求める心理をこのように巧妙に利用して行われる詐欺や喜劇や、さらにはそこから生まれる悲劇は、我々の記憶の中でも初めてのことではない。そして「イオンクレンズ」の真相を知ってみると、ショックと憤慨を感じるだけでなく、むしろなんともいえない悲しさを覚える。ネットワークが四方八方に張り巡らされ、技術が日進月歩のこの時代に、一衣帯水の隣国にありながらも、一方ではぺてんが暴露されて多くの人が非難しているのに、一方ではマスコミが宣伝してブームを巻き起こしている。これは言葉が通じないことだけによって起こった問題ではないだろうし、我々はもっと深く考える必要があるのではないだろうか。
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→世界遺産は確かに非常にたくさんあって、自分の目で見られることは一生の幸せです。私はレコード店でユニークな民族音楽(ユネスコが認定する「人類の非物質文化遺産」)を見つけましたが、これも同じように、現地の伝統文化のすばらしさに思いを馳せることができます。(本メルマガの「登録を待つ日本の世界遺産」を読んで)【台北 Frank】
←Frankさんのブログ、「ダ・ヴィンチの旅」はすばらしいですね!特にFrankさんの名言「天がどんなに高くとも、心はそれを包むほど大きく、大地がどんなに広くとも、足跡を遥か遠くまで伸ばさなければならない」には感服しました。
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最初にラーメンを食べた日本人
1669年(寛文9年)に水戸黄門こと徳川光圀が中国渡来のラーメンを食べて舌鼓を打ったと言われている。水戸黄門は手打ちうどんが大の得意で、当時中国から来日していた儒教者朱舜水(しゅしゅすい)に手製のうどんをごちそうした。その返礼に朱舜水は中国式の麺を黄門にふるまったのだ。この日本人が最初に食べたラーメンは今新横浜のラーメン博物館に展示されている。
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