それはジーンズの後ろのポケットに潜ませてある。毎日持ち歩くのが、もう自然な習慣になってしまった。
かつて、「10日に200本撮る」という、撮って撮って撮りまくるプロの訓練を受け、「押入れを簡易暗室に改造」という情熱の行動に走り、写真展開催、表彰式を テレビに中継され などの栄誉に陶酔したこともあった。だがある時突然、「撮影」は見知らぬ人のように私から去っていってしまった。
ある冬の午後、長い間ごぶさただった「ニコンF3」と埃にまみれた分厚い ネガ アルバムを整理していると、何年も前の記憶がみるみるよみがえってきた。あのとき教壇に立って、多くの卒業生が社会に出ると、仕事の苦労や家庭の悩み、生活の負担などによって写真を撮る時間も気持ちも失われていくことに言及した後、恩師の深瀬昌久氏は鬚をなでながら淡々とおっしゃった。「でも一日一枚撮れば、一年で三百枚以上になるんですよね。」
それを持ち歩くようになったのは、その日の午後からである。
それはジーンズの後ろのポケットに潜ませてある。毎日持ち歩いて、半信半疑で撮ってみる。
少しずつ、少しずつ発見する。毎日見慣れてろくに見もしない出勤の途中に、たくさんの気がつかなかった小さな楽しみが隠れている。腰をかがめて寒風の中で落ち葉を拾うおばさん、 歩いてはしきりに振り返るぶちがらのチワワ、 ワイヤだけで作られたシンプルなファッションを飾ったショーウインドウ、ピアノの鍵盤のように雪の積もったらせん階段……、生活はもはや、家−会社−家の単調な毎日の連続ではなくなった。無数の「決定的瞬間」がいつも待ち構えている。ジーンズの後ろのポケットの中のそれが直ちに出動するのを待ち構えている。
本当に魔法の道具である。それは生活の中のたちまち消えていく一瞬を捉えようとし、最も大切にすべき今が何なのかを教えてくれる。それのおかげで感情がもっと細やかになり、それのおかげで人生がもっと充実するのだ。
ジーンズの後ろのポケットに潜ませたもの。――それは、名刺入れほどの大きさのデジタルカメラ。 |