東京タワー (台湾) rachel
江國香織は、 世の中でいちばん悲しい景色は雨に濡れた 東京タワー だと 言う。私はひそかに喜ばずにはいられない。アメリカンクラブから歩き出したあの日の晩の東京はとてもよく晴れていて、おかげであんな近い距離から東京タワーの発する柔らかな淡い光を味わうことができたのだから。雨の中の東京タワーを見たことがあるかどうかは覚えがない。東京タワーの存在は慣れ親しんだ当たり前のものになってしまい、かえって記憶から滑り落ちて、忘れられてしまい易いのだ。
ある冬の日の夜、私は友達と一緒に小さな駅から 30 分ほどかけて坂道を登り、ようやくのことで東京タワーのふもとにたどり着いた。我々は得意になり、二人で V サインを出して大喜びしながら写真を撮りまくった。しかし、風景を撮ろうとして気がついた。近距離からでは巨大な東京タワーはレンズに収まらない。一部の鉄骨と、近くから見たまぶしい照明の光だけしか捉えられないのだ。
そのような姿で見る東京タワーは、まるで真っ赤な工事現場の鉄骨のようで、粗暴で荒々しい無頼漢の雰囲気があり、我々が期待していたドラマのようなロマンチックな味わいには欠けていた。
その後、私は東京タワーにあまり目を向けることがなかった。夜景が美しいのは、東京タワーに限らない。レインボー・ブリッジ、大観覧車、サンシャイン・シティ、新宿の高層ビル群、六本木ヒルズ……東京には遠くから夜景として眺められるたくさんの場所がある。最年長で長い歴史を持つ東京タワーは、この夜景競争の中では暗くて精彩がない。
江國香織は、 世の中でいちばん悲しい景色は雨に濡れた 東京タワー だと 言う。私にとっては、江國香織自身が、憂いに心を痛める作家である。憂いに沈む人の目に映る悲しい情景は、きっと寂しさへ寂しさへと沈んでいき、収拾できない陰鬱さに落ち込んでいくのだろう。そのように想像すると、東京タワーは高い塔として最高なだけでなく、憂いにおいても最高であり、都会全体の憂鬱な気持ちが積み重なっているのだとも言える。
暗い東京タワー、寂しい東京タワー、こうした景色を凝視する愛情は、当然あまり明るくはない。江國香織の描く愛情はそれゆえに物憂い気質を帯びている。多くの物語では旧習の心地よさに浸って変化を恐れる人々が、鶏の骨のごとく価値のない感情を硬そうに咀嚼する。主人公たちは軟弱で、別れにおいても何とか引き止めたいという強烈な痛みが欠けており、いつも次第にゆっくりと麻痺していくに任せるだけである。彼女の小説を読むのには時間がかからない。誠品書店に一、二時間こもっていれば一冊が片付く。読み終わって長いため息をつき、その後に残るのは長く続く残念な気持ち、疲れ、倦怠、皺の寄った眉間である。
江國香織は、 世の中でいちばん悲しい景色は雨に濡れた 東京タワー だと 言う。だが、彼女のあのような孤独な筆の下では、雨が降っていなくても東京タワーにはぼんやりした霧がかかっているだろう。
私はひそかに喜ばずにはいられない。アメリカンクラブから歩き出したあの日の晩の東京はとてもよく晴れていて、私もまた孤独に道を行くわけではなかったから。たぶん寂しくなかったからだろう。あのような近い距離にいても、東京タワーが発する柔らかな淡い光を味わうことができた。
私は、あの夜の東京タワーを懐かしく思い出す。
Rachel's blog のサイトより(本編集部で一部削除した)
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