TOKYO FASHION
東京流行通訊について お問い合わせ
  2005年10月12日創刊第2号(通巻第5号) 毎週水曜日発行  中文簡体  中文繁体 
ファッション・イベント
家電製品・IT情報
観光スポット・グルメ
車・ドライブ・F1
先端技術・出版・雑学
芸能・ドラマ・音楽
ゲーム・キャラクター
世相・若者の生き方
華人の見た日本

東京の印象 (中国)華梅

  日本に行ったら、一度は東京に行かなければいけないらしい。東京の近代的な面を体験したいという人もいるが、私はこの名だたるファッションの中心地を見てみたいと思った。

 時間が限られていたので、ファッションを創り出す組織に関する取材をすることはできず、街で東京のファッションの様相を観察した。

 中国人留学生は我々にこう言う。「東京に行く必要はないですよ。東京は上海にはかなわないですから。」どうしてそのようなイメージが生まれたのだろうか?「新幹線」を降りると、目の前に広がる都市のイメージは、確かに私に上海を連想させた。だが、似ていたのは旧上海のほうである。大小の看板でいっぱいの建築物やほとんどすべての通りに沿って広がる商店などは、解放前の上海の街にそっくりである。

 革靴をはいて、全員同じ白いワイシャツで、しっかりネクタイを締めて、濃い色の背広を着たサラリーマンは、忙しそうにせかせか歩き、書類かばんを手に持つか脇に挟んでいる。ひっきりなしに携帯電話を取り出して話す人を見かけなければ、これが 21 世紀であることに気づくのは難しいだろう。

 街にはファッショナブルな若者が多いが、大多数は世界の大都市の若者ファッションと変わらないスタイルである。手が隠れるほどの長い袖のセーターと超ミニスカートとショートブーツを身につけている少女たちがいて、ちょっと見は若者らしくておしゃれだが、残念ながら同じかっこうをしている人が多すぎる。「前髪」をたらしていることと、あまり背が高くないということがなかったら、どこの国だかわからない。その上、茶髪が流行り、 肩に髪がかかるスタイルが流行っていて 、後ろから見たらどこの人だかわからない。

 一部の中国の若者がまねしているファッションイメージもある。部分的に茶髪にしているのは羽蹴りの羽根のようだし、汚らしい丸首シャツの胸に抽象的な絵や人気スターの顔をプリントしたのもあるし、穴をいくつもあけたジーンズをはいて、その大小の穴の破れ目がひらひらしたり白っちゃけたりで、穴がまるで歯をむき出した怪人のようになっていたり、足には何色だか判別できないような ぶかぶかの スニーカーをはいていたり、背中にはぱんぱんのリュックを背負っていたり……。

 若者も多いが、年取った夫婦連れはもっと多く、これは東京に限ったことではない。たくさんのほとんど同じファッションイメージの老人夫婦たちが、そこら中にいる。男性たちは相変わらず背広が好きで、時としてカジュアルな服を着ていてもネクタイは手放せない。女性の多くは和服を着ることはなく、清潔なカジュアルファッションを身につけている。正座する(跪いて坐る)時間が長かったからか、あるいは女性の地位が低い時代が長かったからか、老婦人たちの多くは腰が曲がって真っ直ぐにならず、足も彎曲して、手には杖をついている。彼らにはもう一つ服装に共通の特徴がある。それは、ほとんどの人が薄いらくだ色の布の帽子を被っていることだ。そればかり見ていたので、我々と同行した李院長が、ある日布の帽子を被って来たとき、我々は彼を「日本風」だと言ってからかうことになった。

 東京の硬質な都市イメージは我々を驚かせることはなく、東京の軟質な都市イメージ――ファッションにも興奮させられなかった。だが、東京国立博物館の美術品は、異国の風格を感じさせてくれた。

 世界は一元化に向かっている。開放されればされるほど、取り上げるべき特色が失われていくのではないだろうか?

「人民日報海外版」より (本編集部で一部削除した)

 


読者と編集部のMail交流

→アメリカに留学していたころ、向こうの化粧品とかや洗顔用石鹸など日本人の肌にあわないものが多く、日本のコスメやシャンプー/油取り紙のような日本でマツモトキヨシなどで普通に売っているような情報を入手するために結構苦労した記憶があります。そのような情報があると本当に助かると思います。 【ドイツ 黒川 真衣】

→インターネットが普及しているとはいえ、やはり現在の日本でどのようなものが流行しているかを知るのは自分の判断では難しいかと思います。このようなメールマガジンが、海外に住む自分のところに配信されるのであれば、時間を割くことなく、簡単に現在の日本、というものを知ることができて大変面白いのでは?と思います。【日本 幸田 恵子】

→日本人でも知らない情報だったり知識だったり載ってるので楽しく読むことができると感じました。日本語を勉強している人の為にワンポイント日本語レッスン講座みたいな(一言英会話、こういうときにはこう言おうみたいな感じで)ものがコンテンツの中にあれば、いいのかもしれません。【日本 嶋田 千里】

→ 似通っているとは言え中国とは違う文化圏にすんでいるアジア圏の在住者にとっては、中国向けの情報内容には継続的な興味はないでしょうし、なかなか聞けない/見れない日本の情報を期待しているのではと思います。これは中国向けでなくとも同じことが言えると思います。他では見られない、すばらしい情報誌として配信されることを期待いたしております。【タイ papapine】

ALAYA

 

アジアンカラー最前線

 21世紀はアジアの時代である。アジアカラーフォーラムは、日中韓協力イベントとして、昨年11月北京で第1回が開催された。この秋、第2回を東京にて開催致する。今回のフォーラムでは、東アジアの要、日中韓が集い、3ヶ国共同で作成された「アジアベーシックカラー」をご紹介するとともに、3ヶ国のカラーデザイン事情最前線とその戦略、今後の可能性について現場第一線の講師による、熱いレクチャーを送る。

  日・中・韓 3 カ国共同で行った調査の結果等を参考に、アジアの「ベーシックカラー」を発表。各国の市場におけるカラー事情やマーケット動向もあわせて解説する。

●中国 浙江凱喜雅国際株式有限公司の孔祥光さんから「中国伝統色の特徴とシルク製品への応用」、上海家化聯合株式有限公司の周愛華さんから「色彩が製品に生命を与える」を発表する。

●韓国 アモーレパシフィックの Sook Yung Park さんから「アモーレパシフィックの PCDS による顧客サービスとメイクアップ製品のカラー開発事例」、サムスン電子の Eun-Young Koh さんから「プレミアム価値の象徴としての製品色」を発表する。

●日本 株式会社ワコールの神尾敦子さんから「 WACOAL DIA  自然界の色からの発想」、日産自動車株式会社の牧野克己さんから「日産自動車カラーデザインのオリジナリティ」を発表する。

 また、世界各地で衣装デザイナーとして幅広い活躍を続けているワダエミ氏から「ワダエミの日本の色・アジアの色」を特別演説する。ワダエミ氏がアジアを舞台にした映像等の衣装も多く手掛けており、近年では、中国映画「 HERO 」や「 LOVERS 」の美しい衣装が話題を呼んだ。人物設計も担当されている氏は、どのように各国の登場人物に色を与え、それぞれの国の特徴を描き出す。

日 時  2005 年 11 月 9 日(水) 10 : 00-18 : 00
会 場 ホテル グランパシフィック メリディアン 東京 B1 パレロワイヤル D 東京都港区台場 2-6-1 新橋からゆりかもめ「台場」駅直結
主 催 財・日本ファッション協会/社・日本流行色協会
協 力 中国流行色協会/韓国カラー&ファッショントレンドセンター

申込み・問合せ先 「アジアカラーフォーラム事務局(社団法人日本流行色協会内)  TEL.03-5530-5616 FAX.03-5530-5615

(C) JAPAN PASHION COLOR ASSOCIATION.2005

アジアカラーフォーラム 公式サイト
 http://www.jafca.org/ASIA/index.html


環境に優しい百円バス

 外国人がたくさん居住する 東京都港区 では最近、可愛らしい中型バスが、新しい繁華地区である六本木と夜の聖地赤坂の間を往復するのをよく見かけるようになった。車体に目のさめるような空と雲と緑の図案が描かれたこのバスの愛称は「ちぃばす」で、コイン一個( 100 円)支払うだけで全区間に乗ることができる。

 この新型のバスの運行を始めたのはフジエクスプレス社である。ちぃばすは、人に優しく、自然を保護するという理念を提唱するだけでなく、以下のいくつかの面において国際都市、東京をリードしている。

一、社内では、日本語、英語、中国語、韓国語の四ヶ国語で音声、映像、文字による案内が行われる。

二、バスナビシステムに対応して、パソコン、携帯などの端末でバスの運行状況や時刻表などを検索できる。

三、天然ガスを使用し、環境保護に努めている( CNG バスとも呼ばれる)。

四、身障者のために車椅子対応の座席などが備え付けられ、身障者が乗り降りする際は、運転手が電動装置を操作してヘルプを行う。

 「ちぃばす」は現在、毎日午前 8 時から夜 8 時まで、田町と六本木の間を循環運行している。東京の六本木に遊びに行くなら、この「地球に優しい百円バス」に乗ってみるのをくれぐれもお忘れなく! (河上晃一朗提供)

(C)2005 Fuji Express
フジエクスプレス公式サイト http://www.fujikyu.co.jp/express

倖田来未の新しい公約

 セクシーなシンガーとして人気の倖田来未が、何とファンに対して、ベストアルバムが 100 万枚を突破したらクラブのママさんになると公約した。

 21 日、東京都内で倖田の初めてのベストアルバム「 BEST 〜 first things 」の発売イベントが行われた。デビューして間もない頃、まだクラブ歌手をしていて、「 酔っぱらい客3人の前で歌ったこともある」 倖田は、「原点回帰」の意味でこのような約束をしたのだ。

 この日渋谷駅前で倖田は、「 セクシーだが男に媚びない」 倖田流ファッションを身につけて、そこに集まった百人の女性たちと記念撮影をした。限定 150 人のコンサートでは、「バタフライ」など二曲のヒット曲を歌った。

 同世代の女性にとって超越的な魅力を持ったカリスマ的人物である倖田の意外な「ママさん公約」の背景には、 18 歳でデビューした後、依然として京都や大阪でクラブ歌手をしていたという経験がある。「夜に歌うのは眠くて辛かった。誰も聞いていなくても、歌わないわけにいかなかったわ。」初めて歌手になりたいと思ったのは 3 歳のとき。デビュー前は、「太っていたので 8 キロ減量した。すぐに売れると思ったのに、全然売れなかった。」

 その後、 AVEX のオーディションに合格し、 2 枚目のシングル「 Trust Your Love 」がアメリカのビルボード・チャート第 19 位になった。そして「逆輸入歌手」として、日本で華麗にデビューを飾ったが、以前のことは忘れていない。「堂々とした声と度胸を身につけた。人に合って話すのが好きだから、クラブのママさんという職業に憧れたの。」

 歌手として、人間として成長させてくれたクラブ歌手の経歴を持つ彼女。今回の公約は、ベストアルバムの発売に当たって「原点回帰」の意義も持っている。 AVEX 社によれば、 倖田は「現在東京都内で貸し切りができる店を探しており、お客の募集方法も検討中」だそうである。

(C) 2005 avex network inc.
AVEX 倖田来未公式サイト http://www.avexnet.or.jp/koda/index.htm
 

恋愛と距離に関する論争

 「恋愛は、距離が離れていると成功(永遠の愛を誓う、あるいは結婚する)率が低くなります。テレビドラマではいろいろ美しいハッピーエンドが出てくるけれど、ちょっと冷静に考えてみると、物理的距離が恋愛に与える影響は非常に大きいと思います。みなさんはどう思いますか?」ネット上に「三千里」というハンドルネームの 20 歳の女性が書き込みをしたのをきっかけに、日本の若者たちは長距離恋愛について考え始めた。以下は、代表的な意見である。

●ずっといっしょにいる方がいいと思います。長距離恋愛は難しく、お金もかかります。でも、正反対の考えの人もたくさんいます。長距離恋愛も、結婚を前提としているなら、うまくいくかもしれません。

●近くに住んでいても、私たちは 2 週間に 1 回しか会いません。だから、恋愛と距離は関係ありません。

●過去に長距離恋愛の経験があります……。遠い道のりでしたが、がんばって会うようにしていました。でも最後にはやっぱり別れることになりました。私は彼に夢中だったけど、長距離恋愛をしていたとき、彼以外にも近くにいい人がいることがわかったんです(気持ちを持っただけで、浮気したわけではありません)。彼も同じように思ったのかもしれません。それで、お互いに別れることにしました。

●会えない時間が愛を育てるんです。

●「距離が遠くても愛は永遠」というのは美しい話です。でも、頻繁に会って直接話をすることが、より深くより長く愛し合うことの基本じゃないでしょうか?会えないから「相手のために何かを犠牲にしようとする」というような重荷を抱えた恋愛は、結局無理があるし、失敗する率が高いと思います。

●僕と彼女は、ニュージーランドと日本で長距離恋愛中ですが、全然問題はありません。

●距離と恋愛は関係ないというのが理想ですが、実際は大きく関係すると思います。会いたいときに会えないということによって、心の中に冷たい風が吹き込みやすくなります。

●私は長距離恋愛中です。毎日長距離電話とメールで頻繁に連絡を取り合っています。二ヶ月か三ヶ月に一回会います。双方がお互いの愛情を維持したい気持ちがあれば、維持する方法があるのではないでしょうか?

長距離恋愛の達人 http://www4.big.or.jp/~kzys/tc/special/fl.html
 
 

 本棚に赤い表紙の厚い本がある。角のところがやや皺になっている。メルマガの編集で疲れたとき、この本を手にとってぱらぱらめくっていると、暑い夏に爽やかな清涼飲料を飲んだ時のように、頭がすっきりしてほっと一息つける。

 四、五年前、情熱に溢れた日本の青年男女が広告会社「博報堂」の下に集まり、急速に発展するアジアの九大都市を駆け巡って、日本の流行文化の足跡を訪ねた。一年後、彼らが心血を注いだ仕事は、このセンセーションを巻き起こした専門書――「アジア・マーケティングをここからはじめよう」に結実した。

 この専門書は、非常に面白く、図が豊富で文章も優れたルポルタージュである。 350 ページ近くを費やし、約 200 枚の現場写真も配した、総合取材とネットワーク調査の結果であるこの本を通じて、台北、香港、上海、北京、ソウル、シンガポール、クアラルンプール、バンコク、ホーチミン市のファッショナブルな若者たちの日常生活の様々な新しい側面が、日本の流行文化と関わりあって脈動している様子が、フルスクリーンの映画のように目の前に展開される……。

 西門町に翻る日本のドラマのポスターや「音楽サイト」の日本の流行歌のメロディーも、「 Heeren 渋谷雑貨」のファッションや上海の和風居酒屋の行列も……、時代の発展の方向と新しい文化の衝撃を心に深く感じさせる。

 赤い表紙の上の見知らぬような懐かしいような一つ一つの顔を眺め、陳怡伶、史静芬、孫斌、周汨……などのどこかで会ったことがあるように思われる名前を読みながら、いつも思う。彼らの中にもきっと「週刊東京流行通訊」の読者がいることだろうと。

 五年前の誕生日に、ふと沸きあがった思いに誘われて、小さなメールマガジンが誕生した。その後、いろいろなできごとがあり、何度か引越しもした。だが、この赤い表紙の厚い本はいつも私のそばにあり、どうしても捨てることができなかった。

 まだ会ったことのない読者たちは、あの昨日の熱狂と模倣を、もしかしたらすでに今日の成熟と創作の起点へと転化しているのかもしれないと思う。


青春の原宿
日本人の見た華人

初・美容院体験 (日本) KIYO

 一年も中国に滞在していながら、今まで未体験だったことがあるそれは、“美容院で髪を切る”ことだ。そんな私が、つい先日、ひょんなことから現地社員に騙されて、美容院に行った。

 この界隈、人口の割りに、異常に美容院が多い。そしてどこもそれなりに客が入っているところが不思議である。私が入る羽目になった美容院は、最近新しく出来た、“韓国式美容室”と言い張っているところ、家から歩いて 5 分だ。

 店の入り口には大きなスピーカーが通りに向かって備え付けられており、いつも大音響で、私好みの音楽を流してくれている。

 店に入ると、店長らしきお姉さんが笑顔でお出迎え、まずはシャンプーとのこと。このシャンプー台、日本のものと同じく仰向けに寝るタイプのものだが、頭の部分に何やらあたって、耐え難いほど痛い。シャンプーが終わってからよくよく確認してみると、頭を置く台が、シャンプー台と同じ材質(陶器)で作られていた…こんな枕で寝れるかよ…と突っ込みたくなった。

 なんと言っても私は美容院が苦手な人間なのだ。こんなところに座って、頭にタオルを巻いているという状況で、外国語が聞き取れるほど、落ち着いていられるわけがない。現地社員という通訳がいたものの、要望を伝えられるほどの余裕もない。

 結局、適当に切ってもらうことになった。なんでもいいんです、失敗しても、髪だから、伸びます!

 “学生ですか〜”“韓国人ですか〜”などとたわいもない会話をしていたようである。

 見ていると、結構丁寧に切ってくれているようである。予想以上に短くなっていたが、夏だからヨシ!ということで、カット終了。

 その後、シャンプー台のほうへ導かれる。うそだろ、またかい、そのカチカチ枕のシャンプー台…と心の中でつぶやきつつ、素直にシャンプー台に座る。2回目は1回目を上回る痛さで、必死で陶器枕に頭が当たらないよう、自力で頭を浮かせておいた。

 苦労の甲斐あって、中国での初美容院体験、無事終了。料金:5元(65円)。あまりの安さに驚いた。でももう一回チャレンジする勇気はない。もしまた行く機会があれば、枕を持参していきたいと思う。

「中国でお仕事の巻」サイトより (本編集部で一部削除した)

日本のナンバーワン

最小の村

 日本全国で人口が最も少ない村は、 東京都 の 青ヶ島村 であり、その人口は 203 人である。 それに次ぐのが人口 204 人の 愛知県 の 富山村 である。 富山村 は 愛知県 の東北端に位置し、 長野県 、 静岡県 と隣接しており、村の 94 % は山林である。昔、ここにはたいへん多くの住民がいたが、 1955 年に、村を流れる天竜川に佐久間ダムが建設され、村の中心部が水没してしまった。そのため、三分の一の人々が村を離れ、 1983 年以後は日本最小の村になった。

 雀は小さくても五臓は整っていると言う。 富山村 にも、温泉があり、旅館や民宿もあり、おしゃれなカフェもある。しかも大学まであるのだ!それは、村の教育委員会が主催する「みんなの森大学」の生涯学習公開講座である。温泉に泊まりながら、蕎麦を作ったり炭焼きをしたりの山村生活を体験することができるのだ。また 、富山村 は小中学生の長期山村留学も受け入れている。今までに、すでに大都市から来たたくさんの子どもたちが自然の中で楽しく学園生活を送った。日本最小の村は、教育の村でもあるのだ。


 


































日本のナンバーワン
copyright