金環日食は、非常に珍しい天体ショーである。地球と月と太陽がある時間にちょうど一線上に並び、月が太陽の光をさえぎって地球に影を落とす時、このような現象が起こり、日食と呼ばれる。月は太陽に比べてかなり小さく、完全に太陽をさえぎることはできない。三者の並び方が完全に一直線で、月が太陽の真ん中に位置する時、太陽が月を抱いたようになって金色のエッジができ、まるで空に細い指輪が浮かんだように見える。これが金環日食である。
5月21日の朝、東京都調布市では、7時15分ごろに太陽はすでに下弦の月状になり、空はやや暗かった。25分ごろには細い金のフック状になり、一ヶ所が欠けているリング状のイヤリングのようだった。7時32分にイヤリングはループを閉じて、非常に細い金環となった。それは欠けたところのない完全な円で、どこも滑らかであり、雲の中に隠れたり現れたりし、明るく静かだった。この時、空の色は黄昏時のようになり、雨が降るのではないかと思えた。7時38分になると、金環はさっきとは逆の方向から口を開け始めた。月と太陽はすれ違い始め、空はほとんど感じられないほどの速度でゆっくり明るさを取り戻していった。
昔の中国では、日食は「天狗食日(天の犬が太陽を食べる)」と呼ばれた。天の犬が太陽を飲み込むのは、天の意志が人の世界に干渉して、王の悪政に警鐘を鳴らしているということであり、不吉な現象である。日食が起こると、人々は銅鑼や鉢など大きな音が出るものをたたいた。そうすると、犬がびっくりして太陽を吐き出すと思っていたのである。日本の神話である「古事記」や「日本書紀」には、太陽の女神であるアマテラスオオミカミが、スサノオノミコトの悪行を不満に思って天の岩戸に入って出てこなくなり、天地が昼も夜も真っ暗になってしまったという話が出ている。日食を「凶」と見るのは、神が冒涜されて起こる天体現象と考えたからだろう。この日には祭りや儀式が行われ、神を敬う心を表現し、世の中の平安を祈ったのである。
時代の変遷に伴って、これらの神話や伝説は伝統文化の記号の一つとして人々に語り伝えられ、次第に本来の吉凶を占い国の将来を予測するという意味は失われた。天文観測者や写真マニアたちは、遠距離もいとわずに観測できる場所まで出かけていって、年に一回の牽牛織女の出会いよりはるかに稀な太陽と月の抱擁を一目見ようとする。日食の当日には、ネット上にたくさんの優秀な撮影作品が登場した。ある日本人はトリックの手法を使って、太陽の金環を指輪として、自分の手がそれを取って愛する人の指にはめようとしている写真を作製した。どうやら現代人の心の中では、この珍しい情景に美しいイメージが与えられ、昔の人々が恐れていた自然現象がロマンの色に染め上げられてしまったようだ。(李薊執筆)